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まったりゆっくりな活字中毒者のブログです
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 源氏物語を再読しております。瀬戸内寂聴さんの訳です。
 たしか一番最初に読んだ時は小学生5年か6年くらいで、当時まったく解らなかった微妙なニュアンスとか、心情とか、今はスルリと心の中に入ってきてくれて新しい感動が。やっぱり小学生じゃあれの良さはわからんわ・・・と改めて思いました。(笑)
 家にズラリと並んでいる源氏物語全訳全十巻が私の古典の入り口で、いまだに特別な思い入れがあります。
 この間本屋さんに言ったら瀬戸内さんの訳が文庫化していて、久しぶりに読んでみようかなぁと思ったのがキッカケ。
 図書館とかで源氏物語を手に取ったとき、やっぱり瀬戸内さんの訳じゃないとなんだかしっくりこないものがあります。この調子じゃ原文踏破なんて夢のまた夢か・・・。(笑)

 確かその頃は連続で氷室さんの「なんて素敵にジャパネスク」の新装版と、「ざ・ちぇんじ」を図書館で借りた頃でした。(古いですか)
 その流れで「とりかえばや物語」を友達に借りてそのまま原文まで読みこんだ記憶があります。
 勾玉シリーズにはまったのもその頃だから、古事記と日本書紀もその頃。それからズルズルと色々な古典を読破していきました。
 でも今「源氏物語」を読んでいて、やっぱり原点はココなんだなぁあらためて思いました。

 古典、と仰々しくカテゴライズされて教科書につめこまれている文章は本当におもしろく感じられない気がします。
 やっぱり教育で教えられる古典は教える側が「教えたいところ」だけを選んである文章で。
 古典だろうが現代小説だろうが、自分で選んで自分で「おもしろいところ」「好きなところ」を探していくのが読書の本当の楽しさだと思うのです。
 選んでもらった物を読んで読書の視野を広げる楽しさもあると思いますけどね。
 やっぱり本というからにはエンターテイメントだし、おもしろいところがあるのは当たり前なわけで。常識は違っても感性とかは人間変わるものじゃないんだなーと思いました。

 「源氏物語」と言えば、大和和紀さんの「あさきゆめみし」で漫画化されていますよね。中学校の図書館にあって読みました。
 大和さんといえば「はいからさんが通る」で、あれのイメージがあった私は読んだときにビックリした記憶があります。少尉大好きです。(関係ないですか)
 でもやっぱり根底には大和さんらしい優しい表現が流れていて、同じ「源氏物語」でも媒体が違うとこんな印象が違うんだなーと思いました。
 少し前の荻原規子さんのブログでも源氏物語の話が出ていて、そこで大和さんの話も出ていたのですが、そこに”少女マンガ・フィルターの源氏物語なのだから、あえてタイトルを『あさきゆめみし』にしたのだ”と大和さんの言葉で書かれていました。やっぱり違うものなのですね。
 
 とりあえず未だ全十巻の内の二巻までしか読んでいないので、早いトコ読破してしまいたいと思います。
 宇治十帖の薫もなかなか好きですが、やっぱり光源氏が好きな私。
 ロリコンだとか最低だとか色々言われることはあるけれど、やっぱりあそこまで切なく一人を思い続けることは素敵だなー、と思います。
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